ときに、何度も場所を変えては同じテーマが提示される。分かる、というか肚に落とし込めるまで何度も。。
からだ、いのちについての捉え方に出会い直した月でした。
古代やシャーマンの叡智の中で、また東洋の技と教えの中で、
自分の手指の意識、気配を消してからだに触れたとき。さらにその触れる自分自身の方を観続けて、もはや遊ぶようであるとき。
遊びのなかで、さらに自分を抜いて行って、手がいきたいところについていく中で、
確かに「いのち(風)」がふわりと動くというか、こっちにきたというか、そよいだのを捉えたのでした。
それはまるで、磁石のよう。
こっちが「やるでー。どこが硬いかい?気持ちいいかい?」モードの時は、いのちの風は反対側に引っ込むのね!
そしてこれらのことは、思い出せば5年前にタイ式を習ったときに、すでに聴いている話しなのだった。。てへ