子のストライキにて、母目覚めること多少

エネルギーが変わると、現実も変わってくるのだ。

 

 

最初はご機嫌で、たのしみすぎて「○○幼稚園になりたい」といっていた娘が登園拒否に。

泣いて吐いてまでしていかない!と言い張る。

 

母と離れることのさみしさよ、そのうち慣れると高を括って切りはなし「やっと自分の時間だ~!わーい家のことサクサク進む~!わーい施術だ~!」と過ごし。

 

1ヶ月経とうとして、まだ雲行きが怪しい。「ほんとうに、ほんとうに行きたくないの」。そしてはたと立ち止まる。あれ、なんかおかしい?

 

 

そうでした、この子はエンパス(共感覚)。そして大人の顔と本音との違いにとても敏感かつ信頼関係をつかむまで時間がかかる。その繊細さをわたしが受け止めずにどうするよ?このことからみえる、ほんとうの原因はなんだろう?

 

 

よーくみたら、わたしのエゴ。「こうでなきゃ」の押し付けによるものでした。

 

 

自然の中でからだを思いっきりつかって遊ぶ、運動会やお遊戯などのmustに縛られず、個を見てくれて子供らしく過ごせる所に、という私の理想。(もちろん素敵なところであることは確か)

 

集団行動にいまのうちから慣れさせてあげなきゃ。(わたしがどの時代も周りに溶け込めず苦労したから)

 

庭の手入れや畑など、保護者参加が望まれるからなるべくいかなきゃ。空気読まなきゃ、仲良くあらなきゃ?の謎の感じ。

 

 

・・・んー、それ全部けっこうどうでもいいじゃんか。

幼稚園なんぞ行きたくなきゃいかなくたっていいじゃん。周りの目を気にしている場合じゃない。(うちの子なんで?と呆然として泣いて葛藤したりしたけど)

 

「いま」の、彼女の全身からくる「行きたくないんじゃー!!」に寄り添おう、うけとめよう。

 

 

腹を決めたら、じぶんの奥のところでしっかりと、どっしりとした。

何というか纏っている、空気全体が変わったような、見る世界が光の感じが変わって、艶やかになったような。

あれこれが、もしかして覚醒の一歩だったりして。

 

 

で、その感覚を纏ったまま、しばらくお休みし気が済むまで共に過ごしました。

そしてきのうからまた、元気に通いだしたのでした。ほー。